1995年にTV放送がスタートし、社会現象を巻き起こしたアニメ『エヴァンゲリオン』シリーズが、2020年6月公開の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で完結を迎える。公開に先立ち、2019年7月6日、フランス・パリと国内5都市を結び、『シン・エヴァンゲリオン劇場版 AVANT 1(冒頭10分40秒00コマ)0706版』を上映するイベント、通称「0706作戦」が遂行された。その背後にいたのがゲヒルンだった――というと、『新世紀エヴァンゲリオン』作中に登場する特務機関NERVの前身、「ゲヒルン」を連想するかもしれないが、そうではない。セキュリティサービスや気象・防災情報の配信を行っている方のゲヒルンだ。
『エヴァンゲリオン』シリーズから大いにインスピレーションを受けているゲヒルン株式会社が、いかに「0706作戦」に携わり、プロジェクトを成功させたのか――その背景を尋ねた。
シリーズ全体を総括する、これまでにない方法での宣伝を模索
「0706作戦」では、来年公開の新作の冒頭部分がLINE LIVEでフランスから生中継された。それもただ映像を流して終わるのではなく、「フランスで本宣伝の封切りをしたい」という庵野秀明監督からのオーダーを実現すべく知恵を絞った結果、毎年フランスで行われている日本文化の博覧会「Japan Expo」と連携。公式応援アンバサダーでもある高橋洋子さんのステージとともに、リアルタイム中継を実施した。手探り状態の中、急ピッチで準備を進めたという。
そもそも通常の劇場作品ならば、「こんな宣伝材料を用意して、このタイミングでこんなプロモーションを打って……」というルーティンがある程度確立している。だが、『エヴァンゲリオン』は正反対だ。株式会社カラーの海外展開戦略担当 音楽渉外担当 プロデューサー 島居理恵氏は「『エヴァンゲリオン』は基本的にルーティンに則った宣伝ではなく、方針が立ったら実現に向けて急激に動く不思議なノリがあります。常に奇襲攻撃で、決して正面玄関からは入ってきません」と、使徒のようなその性質を説明した。
株式会社カラー 海外展開戦略担当 音楽渉外担当 プロデューサー 島居理恵氏
しかも、最初のテレビシリーズ放送から20年以上、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の公開から数えても7年という年月が経っている。「いよいよシリーズも完結を迎えるため、これまでとは違う盛り上げ方を考えなければならないと思っていました」(島居氏)
特に意識したのはネットとの関わりだ。「『:Q』を公開した2012年はTwitterがようやく一般的になったくらいでしたが、その後どんどんネットと現実世界の接続面が強化されたこともあり、その中でどうやったら宣伝効果を上げられるかを考えました」(島居氏)。『シン・エヴァ』のプロモーションに加え、シリーズ全体を総括する意味も込めて、「0706作戦」ではこれまでとは違うやり方を考え、実行していった。
「で、どうやって動画を配信するの?」――Twitterアカウントのつながりが元で正式依頼に
「0706作戦」の内容や配信形態等の体裁を模索している中で、いざリアルタイム中継を実行するとなると、会場の手配や警備計画の立案、当局との折衝に加え、技術面で考慮すべきさまざまな課題があることに気付いたという。
「フランスのインターネット回線って通常はADSLくらいの帯域しかない代物で、大容量の映像を無事に配信できる状況ではないんです。そんな環境で動画をどうやって日本側へ発信するかを考え、LINE LIVEにご協力いただくことになったのですが、そもそも動画サーバをどう用意したらいいかといった事柄に始まり、何もかもちんぷんかんぷんでした」(島居氏)
そこに浮上したのが、ゲヒルン 代表 石森大貴の名前だった。石森とカラーがつながったきっかけは、2011年3月に発生した東日本大震災だ。石森は、以前から取得していたTwitterアカウント「特務機関NERV」で災害情報や被災者支援のための情報配信、そして『エヴァンゲリオン』作中の「ヤシマ作戦」にひっかけた形で計画停電の呼びかけを行っていた。当初は「非公認」の活動だったが、社会的に意義のある活動ということで、『エヴァンゲリオン』関連の著作権管理を行っているグラウンドワークス:社から使用許可を得て、その後もニュースや気象情報・災害情報を継続的に配信し続け、フォロワー数は約76万人に上っている。
一連の活動を見守る中で島居氏らは、特務機関NERVの「中の人」の人となりも理解していったそうだ。「当初は、アニメに出てくる要素を震災時に使い情報発信するなんて不謹慎だというユーザーからのお叱りもありました。その状況を踏まえてコンタクトを取ったのですが、NERVアカウントの活動を見ていくと、やっていることが一つもぶれていないし、世のためになることをされているのが分かりました。電話でお話ししたのは2、3回でしたが、そこにおつきあいのタネがあったのかなと思います」(島居氏)
そして2019年4月、関係者が一堂に会した席で、「「0706作戦」でこんなことをやりたいんだけれど、何とかなるだろうか」と技術的な問題をぶつけられた石森。「逃げちゃダメだ」というプレッシャーもあったかもしれないが、「じゃ、手伝います」と答えたことからプロジェクトは怒濤のごとく始まった。
インフラ面だけでなく動画のエンコードやセキュリティまでも支援
「サーバと回線、何とかなりませんか」という島居氏の最初の相談を聞いて、「インフラのことなら、(親会社の)さくらインターネットを紹介すればそれで済むかな」と思っていた石森。だが、「0706作戦」に合わせてリリースされた公式アプリ「EVA-EXTRA」との連携をはじめ、話を聞けば聞くほどそれでは済まないことが分かってきたそうだ。
「動画の配信形式はどうしたらいいかとか、変換はどうしたらいいか、それにデータベースは何を使ってCDNをどう使うかといった話がぞろぞろ出てきて、さらにはアプリのセキュリティにまで話が及んで、『これは、アプリ開発会社一社が頑張って済む話ではない』と思い、『手伝います』と答えてしまいました(笑)」(石森)
ゲヒルン 代表取締役 石森大貴
YouTuberの存在を引き合いに出すまでもなく、今の時代、インターネットでの動画配信は当たり前で、その気になれば誰でもできそうに思える。だが、『エヴァンゲリオン』シリーズというこだわりのコンテンツだけに、話はそう簡単にいかなかった。
「カラー側から送られて来る配信用映像素材は、プロがこだわって作った非圧縮データです。15分で20GBくらいのサイズになりますし、特に「0706作戦」のあとに期間限定で配信した『新劇場版:序、:破、:Q』では、映画1本分ですから140GBほどになりました。それをモバイル回線で配信したらあっという間に帯域が埋まってしまいます」(石森)
これらをアプリ配信用のHLS形式に変換する必要があったのだが、「公式からいただいたデータですから、画質にこだわってエンコードしました。ただ、H.264は赤色の処理が苦手です。『:破』の最後のところで主人公 碇シンジの背景に赤のグラデーションがかかるんですが、そこにブロックノイズが入らないよう頑張ってパラメータを調整しました」(石森)
島居氏は、「通常の一般配信サイトへの許諾時には、画質チェックもなく、データを渡してあとはお任せという感じなのですが、石森くんには『いや、無料だしちょっとくらい画質が荒れていてもいいんだよ?』といいたくなるくらい、非常に手をかけてやってもらいました。おそらく、これまで配信許諾してきた事例よりもかなりきれいな画質で提供できたんではないでしょうか」と振り返っている。
「お天気カメラ」で離れた場所にいるファン同士の姿も中継
もう1つゲヒルンが協力したのが、「お天気カメラ」を利用した各会場のライブ中継だ。「0706作戦」では東京2カ所のほか、大阪、札幌、名古屋、福岡と、国内の5都市6会場に映像が配信されたが、各特設会場にはゲヒルンのお天気カメラを設置し、「EVA-EXTRA」アプリで来場者の様子がリアルタイムに、手に取るように分かるようになっていた。
「ある日、ゲヒルンさんに打ち合わせに行って社内をウロウロしていたら、全国に設置してあるお天気カメラの映像を1つにまとめた管理画面を初めて目にして、とても魅力的に思いました。それで『これを「0706作戦」を決行する日本側の特設会場に設置して、アプリ側から見られるようにしたい。何とかならんか』と。『なると思います』『じゃあお願いします』で決まりました」(島居氏)
島居氏の目に留まったお天気カメラの中継映像(ゲヒルン司令室)
そこからは、フランス「Japan Expo」からの中継準備と並行し、お天気カメラをどこにどのように設置するかにはじまり、インターネット回線やハウジング設備の手配に至るまでを、即断即決で進めていった。
そんな多忙な状況の中だからこそ生まれたエピソードもあった。「お天気カメラで6会場の様子を生中継するのですが、音までは拾えないんです。アプリを使っているユーザーが無音のまま見ているのも寂しいだろうなと思って、『BGM付けます?』と尋ねたら、島居さんから『ヱヴァ新劇場版』のサントラシリーズの音楽データが大量に送られてきて……それもMP3とかじゃなくて」(石森)
こうして「DJ石森」お勧めの音源を組み合わせたBGMが完成した。それも、高橋洋子さんのライブが始まる20時15分から再生を開始し、イベント終了に合わせてぴったり終わるようにプレイリストを作ってあったのだが、もろくもその構想は瓦解した。早くから会場に足を運び、開演を楽しみに待つ来場者を見て、「無音のままでは寂しいのでどうせなら早めにBGMを流そう、配信しちゃおう」と、その場でBGMの前倒し配信が決まったからだ。
だが、「Twitterでの反響は大きかったです。『好きな曲ばかり流れてる!』という声もありましたし、お天気カメラの前に行けば、アプリの中に自分たちが写るので、それをスクリーンショットに撮るため記念撮影を始めるユーザーもいました」(石森)
ゲヒルンにとっても、お天気カメラのこうした使われ方は目からウロコだったという。専務取締役の糠谷崇志は、「元々は気象や防災情報を収集・中継するための機器として開発されたお天気カメラだったので、『あ、こんなふうにエンターテインメントにも使えるんだな』と新鮮な驚きを受けました」と語る。
ゲヒルン 専務取締役 糠谷崇志
フランス「Japan Expo」の会場で準備に奔走していた島居氏はその様子を横目で見ながら「札幌と福岡というように遠く離れたところで、同じものを楽しんでいる人たちがいることが、それこそアプリさえあればどこにいてもリアルタイムで分かり、より一体感が生まれて良かったなと思っていました」と振り返った。
さらに島居氏は、「お天気カメラというと据え置きのイメージがあるけれど、きちんと雨水をしのげるパッケージになっている上、必要な電源も1つで済み、そこからリアルタイムで映像を飛ばせますから、もっとエンタメに使えるんじゃないかなと思います」と評価した。何をネタにするかは検討するとして、映画本編封切りのときにも活用を考えているという。
作品への思いに高い技術力が組み合わさって実現できた「0706作戦」
こうして、国内で約10万人を動員した「0706作戦」は、成功裏に終了した。走りながら企画を検討し、次々実施に移していったこの作戦で、石森をはじめゲヒルンのメンバーは「カラーに試されてるわね、私たち」という状態だったようだ。
その他にもゲヒルンは、日本での作業に加え、フランス現地での配信用サーバのテストをサポートしたり、日本各地の中継会場でサーバの操作を行うオペレーター向けのマニュアルを作成したりと、あらゆる面で技術的な支援を行っていった。また、「爆速」と名のついた関係者のLINEグループでは次から次へと技術的な質問に答えていき、15分レスポンスがなければ「石森くん、どうしたのかな」と思われるほど。イベント直前のLINEグループには、「今は寝ているみたいだから、聞きたいことはいっぱいあるけれど、とりあえず石森くんが起きるのを待とう」という、一周回って、切羽詰まっているのかそうでないのか、よくわからないメッセージが投稿されたほどだった。
「天気も含め、現場がうまくいったのは幸運と現地の頑張りですが、いろいろ小さなミスがあってもリカバリできたのは、何はともあれゲヒルンのバックアップがあり、要のサーバのところが崩れなかったからだと思います」とグラウンドワークスの企画 神村綾子氏は振り返っている。
エンジニアとして、そして1人のエヴァンゲリオンファンとして「0706作戦」に加わった石森とゲヒルン。ただ島居氏は、「ファンだからお願いしたというわけではありません。やはり技術の裏打ちがあったことが一番で、安心感がありました」という。
「ただ同時に、これまで十数年間われわれがやってきたことをきちんと見て、知っていてくれたため、作品のノリや方向性をあえて説明しなくても分かってくれて、逆に『こうしたらどうでしょう』と最適なものを提案してくれました。だからこそ『爆速』につながったと思います」(島居氏)
作品への強い思いと技術力が可能にした「0706作戦」に続く、次の作戦にも期待したい。
この記事は2019年8月の取材をもとに構成しています。